【取材後記】日隅弁護士が託す民主主義の「種子」を屋久島の大樹に/編集委員会
広く開かれた平等で安心な町をめざして
「市民が主人公になる社会」の実現に向けた活動を表彰する日隅一雄・情報流通促進賞2022の奨励賞が5月12日、私たち「屋久島ポスト」に贈られました。表現の自由や情報公開などの活動に尽力し、49歳の若さで病に倒れた故日隅一雄弁護士の遺志を引き継ぐ日隅一雄・情報流通促進基金(東京)が毎年、国民主権の促進をめざして活動する個人や団体を支援するために贈っている賞です。
【動画】日隅一雄・情報流通促進賞
それでは、その支援活動のきっかけをつくった日隅氏は、どんな弁護士だったのでしょうか――。
権力の下で苦しむ人々を弁護
1963年に広島県で生まれ、1987年に京都大学法学部を卒業後に産経新聞に入社。5年間の記者活動を経て、1998年に弁護士登録をしました。
日隅氏は弁護士として、権力の下で苦しむ人々を支え続けました。原子力施設事故の記者会見で虚偽発表をさせられて自殺した職員、警察の職務質問から逃走して拳銃で撃たれ死亡した中国人研修生・・・・・・。そして、日米沖縄密約の文書公開訴訟や、天皇等の戦争責任を問う民衆法廷に関するNHK番組の改変事件訴訟などにも関わり、私たち市民の知る権利を守るために法廷に立ち続けました。
震災後の福島原発事故なども報道
また、ジャーナリストとしては、全国から市民の声を発信するネットメディアの一般社団法人「News for the People in Japan」(NPJ)を設立し、初代の編集長に就任。大手マスコミがほとんど伝えることがない弱者や少数派に関するニュースなどを発信しました。
2011年3月11日の東日本大震災で発生した福島原発事故の後は、連日にわたって東京電力本社で記者会見を取材し、放射能汚染水の海への放出などについて、東電幹部を強く批判しました。ところが、その東電会見の取材が進むなかで、末期の胆嚢ガンと診断され、余命半年の告知を受けることに。
それでも、日隅氏は計110日間にわたって会見取材をしたほか、講演や執筆の活動も継続。日本が初めて経験した未曾有の原発事故について、広く情報を伝え続けた末、2012年6月12日、志半ばで亡くなりました。
故人の遺志を引き継ぎ、同志が市民を支援
その遺志を引き継ぐ形で、同志の弁護士や研究者、作家、メディア関係者らが中心となって始まったのが日隅一雄・情報流通促進賞です。この10年間、故人の命日である6月12日に表彰式が開かれ、広く開かれた社会の実現を願う日隅氏の「種子」が、多くの個人や団体に託されてきました。
今回の受賞で、その一粒の種子を私たち「屋久島ポスト」も受け取り、この世界自然遺産の屋久島に蒔くことになります。そして、創刊時に掲げた「だれにも平等に開かれ、だれもが安心して暮らせる町」にする目標に向かって、まずは種子を芽吹かせ、やがては屋久杉のような大樹に育てていきたいと思っています。
今後も、屋久島ポストへの温かいご支援をよろしくお願いいたします。
【動画】日隅一雄氏からのメッセージ
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