【取材後記】日大第三者委員会から学ぶ屋久島町の無責任体質

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日大アメフト部・違法薬物事件の第三者委「不都合な情報には目をつぶり、自己を正当化」 屋久島町、公務災害死の認定理由に耳を塞ぎ「過重労働はなかった」と反論

町、補助金不正請求事件では不正調査せずに放置
日大と屋久島町①

 日本大学アメリカンフットボール部の違法薬物事件で、日大幹部らの対応について検証した第三者委員会(委員長・綿引万里子弁護士)1031日、調査結果を公表したが、その記者会見で述べられた文言の多くは、そのまま屋久島町が抱える諸問題に当てはまると感じた。

 そのなかでも特に印象に残ったのは次の文章だ。

「立証されていない事実や立証される可能性が低いと見なした事実を矮小化し、時にはないものとする」

不正職員の言い訳を鵜呑みにする町幹部

 いま、被告として町が住民訴訟で係争中の補助基金不正請求事件では、この第三者委の指摘を地で行くような事実が次々と法廷で明らかになっている。

 町は水道工事が未完成なのに、「すべての工事が終わった」と虚偽の報告を国にして、補助金を不正に受給。その際に、担当職員は上司の決裁を受けることなく関係文書を作成し、町の公印を勝手に押印して、「独断」で報告書を国に提出していた。

 だが、荒木耕治町長ら町幹部は、担当職員の言い訳だけを鵜呑みにして、虚偽報告がなされた経緯を調査しなかった。工事に関わった全業者から事情を聴けば、担当職員の主張が虚偽であることが判明する可能性があったのに、発覚当初はそれを敢えてすることなく、虚偽報告の事実すら国に伝えずに放置。その結果、国から補助金など約1668万円の返還命令を受けた。

町、業者に責任転嫁も 地裁は町長らの賠償責任を認定

 それにもかかわらず、荒木町長ら町幹部は、補助金返還に至った法的責任は「工事遅延を招いた業者にある」と言い張っている。そこで、原告の住民は、町が全工事業者から聴き取りをした調査結果を開示するように要求。だが、町は「自己(原告)に有利な証拠の提出は自らの手で、自らの責任でなされるべきもの」などと主張して、頑なに証拠提出を拒否した。

 そして、鹿児島地裁は荒木町長ら町幹部に約135万円の賠償責任があったことを認める判決を言い渡したのだが、町は一審の判断に不服があるとして控訴している。

町、勤務管理を一切していないのに「過重労働はなかった」

 また、日大の第三者委は、日大幹部の無責任な対応について、こうも述べている。

「不都合な情報には目をつぶり、得られた情報を自分に都合よく解釈し、自己を正当化するという姿勢」

 この指摘は、屋久島町営牧場で職員が過重労働で死亡した公務災害に対して、荒木町長ら町幹部が取った対応にぴったりと当てはまる。

 公務災害を認定した地方公務員災害補償基金は「過重労働があった」と認めているのに、荒木町長らは「過重労働はなかったという認識」だと反論。町は職員の勤務管理を一切していなかったにもかかわらず、何の根拠も示さないまま、一方的に町の認識だけを主張して、自分たちの責任を回避しようとしている。

過重労働死でも訴訟 請求賠償額は7000万円

 さらには、荒木町長ら町幹部は、公務災害の認定理由が記載された文書を送付しようとした同基金に対して、その必要はないと断っていたという。公的機関が公務災害と認めているのに、その認定理由に自ら耳を塞ぐのは、雇用主である地方自治体としては、絶対に許されない対応である。

 そして、この過重労働死についても、約7000万円の損害賠償請求訴訟が提起され、町は被告として、鹿児島地裁での裁判に臨まざるを得なくなっている。

第三者調査を拒み 司法で問題解決の機能不全

 これらの問題に加えて、山海留学の体罰問題や入山協力金3000万円の横領事件などでもそうだが、すべてに共通しているのは、荒木町長ら町幹部が不正や不祥事が起きた際に、第三者を入れた調査をまったくしていないことだ。その結果、町は「立証されていない事実や立証される可能性が低いと見なした事実を矮小化し、時にはないもの」にしてしまった。さらには、「不都合な情報には目をつぶり、得られた情報を自分に都合よく解釈し、自己を正当化」したために、すべての諸問題について、司法の力を借りなければ解決できない機能不全状態に陥っているのである。

「組織としてのガバナンス」が欠如した屋久島町

 名古屋高裁の元長官で、日大の第三者委で委員長を務めた綿引弁護士は、こうも述べて、日大幹部を厳しく批判した。

「本法人は組織ですから、不適切な職務行為がなされた場合、監督し、制御し、けん制するのが組織としてのガバナンスのあるべき姿。今回はそのガバナンスが機能しなかったと言わざるを得ない」

 この指摘も、そのまま屋久島町にあてはまるのだが、荒木町長ら町幹部は、第三者委員会の設置はおろか、独自の調査をすることもなく、すべての問題を放置し続けている。

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  1. 安房よかにせ

    No.1
    今から10年以上前の2012年2月1日、当時の心境を自分自身のブログに書いたものです。屋久島ポスト読者の皆さんに、ご一読いただけると有難いです。
    先日テレビを見ていて妙に心に響いた歌がありましたのでご紹介します。
    番組名はNHK BSプレミアム「新日本風土記」という紀行ドキュメント番組で、この番組の最後に流れている歌を聞いていて年甲斐もなく思わず目頭が熱くなってしまいました。
    唄っている方は、鹿児島県奄美・加計呂麻島出身の奄美島唄のベテラン唄者(ウタシャ)のお一人朝崎郁恵さんです。
    曲名は「あはがり」と言います。「あはがり」とは奄美の島言葉で「すべてがあかるい」という意味なんだそうです。歌詞も島言葉で書かれていますが、次のような意味になるようです。(新日本風土記ホームページから引用)
    この世は神様からいただいた仮の世 いつまでとどまって 居られましょうか
    命を敬い生きていきなさい この世の生をなし終えるまで
    時はめぐる 水車のように だからまためぐり会える
    月あかりの下で 人々は喜び魂が踊り明かす
    どのようなことがあろうとも 天と大地の間
    月あかりの下で 人々は喜び魂が踊り明かす
    No.2に続く                     

  2. 安房よかにせ

    No.2
    編曲は、NHK大河ドラマ「篤姫」や「江~姫たちの戦国~」の音楽を担当した吉俣良さんです。吉俣さんについては、美しく優しいメロディーを書く作曲家・編曲家というイメージがありました。
    今回の「あはがり」は、番組のイメージにあわせて、朝崎さんが伝えたいメッセージも交えて数ヶ月かけて詞を選び、作り、歌い、吉俣さんが、それにピアノをあてて編曲し楽譜に起こしたもので、島唄をベースにしたオリジナル曲だそうです。
    朝崎さんの、島唄は二度と同じようには歌えないのだというお話を聞いて、ジャズのアドリブ演奏と同じようなものが島唄にもあるのだな、と感心させられました。
    ポルトガルのファドなどもそうですが、大衆の生活の中から生まれた歌の多くは、楽譜などではなく耳で聞いて覚え、なおかつその場の雰囲気に合わせ歌ってきたからなんでしょう。
    この「あはがり」は、朝崎郁恵さんの島唄特有の節回しと吉俣良さんの編曲家としての才能が相まって素晴らしい作品に仕上がっています。
    歌は世につれ…などと言いますが、私のように還暦を過ぎたおじさん達が聞けるはやり歌など無くなってしまった今だからこそ、心ふるわす歌に出会ったとき人間は年甲斐もなく目頭を熱くするのではないでしょうか……。

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